8月9日は、長崎に原爆が投下された日です。
多くの命が失われたこの日。そして間もなく、お盆を迎えます。
八月は、亡くなった人や先祖に、いつもより少し思いを向ける季節なのかもしれません。
墓参りをする。仏壇に手を合わせる。
あるいは、会ったこともない祖父母や曾祖父母がどんな人生を生きたのか、少し調べてみる。
そんな時間を持つのもよいのではないでしょうか。
見えないつながりを感じるとき
私は、ときどき、「これはこの人一人だけの問題ではないのではないか」と感じることがあります。
家族や先祖、あるいは過去に起きた出来事の影響が、今を生きる人の中に何らかの形で残っているように感じることがあるのです。
もちろん、目に見えるものではありませんし、科学的に説明できるという話でもありません。
けれども人間は昔から、亡くなった人とのつながりを、さまざまな形で感じてきました。
その象徴の一つが、蝶です。
世界のあちこちで、蝶は「魂」と結びついてきた
日本にも、蝶を亡くなった人の魂の姿とみる伝承があります。
古代ギリシアでは、「プシュケー」という言葉が「魂」を意味し、蝶とも深く結びついていました。魂を擬人化した女神プシュケーが、蝶の羽を持つ姿で表されることもあります。
メキシコでは、オオカバマダラが飛来する季節と「死者の日」が重なります。地域によっては、その蝶を亡くなった人々の魂の帰還と結びつけて考えてきました。
アイルランドにも、蝶を死者の魂とみなし、むやみに殺してはいけないという伝承があります。
スラヴ世界にも、魂が蝶や鳥などの姿になって身体を離れるという民間信仰が伝えられています。
遠く離れた土地で、なぜこれほど似た発想が生まれたのでしょう。
ひらひらと現れ、しばらくそこにいて、またどこかへ消えていく蝶。
人間はその姿に、こちらの世界と、目には見えない世界との境界を感じたのかもしれません。
虫けらだから、とすぐに殺してよいのか
ここから少し、「殺生」ということも考えてみたくなります。
仏教には「不殺生」という考えがあります。
もちろん、蚊や害虫、感染症を媒介する虫など、生活を守るために対応しなければならない場合もあります。
ですから、「虫は絶対に殺してはいけない」という単純な話ではありません。
ただ、目の前に小さな虫が現れた瞬間、何も考えずに叩き潰す。
その前にほんの一瞬、
「これは何だろう」
と眺めてみてもよいのではないでしょうか。
外へ逃がせるものなら逃がす。
蝶なら、しばらくその姿を眺める。
そういう小さな行為にも、私たち自身の心のあり方が表れるように思います。
死者を思う八月に
蝶が死者からのメッセージなのかどうか、本当のところは誰にもわかりません。
けれども、世界のさまざまな人々が、長いあいだ蝶に「魂」を感じてきたことは、とても興味深いことです。
八月。
戦争で亡くなった人々を思う。
家族を思う。
先祖を思う。
そして、自分がどこから来たのかに、少しだけ思いを馳せる。
そんな時間を持ってみてはいかがでしょうか。
次に蝶が目の前に現れたとき。
すぐに通り過ぎず、ほんの少しだけ立ち止まってみる。
もしかしたら、それだけでも見える世界が少し変わるかもしれません。



