スティング(Sting)の音楽には、独特の型がある。
レゲエから来る間、ジャズを感じさせる響き、陰影のある旋律、力で押し切らない歌声。
ロック、ジャズ、レゲエ、クラシック、北アフリカ音楽まで、かなり離れた音楽を取り入れている。それでも、聴けばスティングだとわかる。
そこに、このアーティストの独自性がある。
1951年、イングランド北東部の造船の町ウォールセンドに生まれ、いくつかの仕事を経て音楽の道へ。1977年にはThe Policeを結成し、ベースとヴォーカルを担当、多くの楽曲を書いた。
The Policeから、その先へ
The Police時代の一曲を挙げるなら、1983年の「Every Breath You Take」(邦題「見つめていたい」)。
日本では、この柔らかな邦題があまりにも有名になった。しかし実際には、甘いラブソングというより、相手の一挙一動を追う執着や監視に近い内容を持つ。スティングの公式プロフィールでも「obsession and surveillance(執着と監視)」を扱った曲とされている。
The Police「Every Breath You Take」公式動画
The Policeは世界的な成功を収めた。
しかし最後のスタジオアルバム『Synchronicity』の頃には、スティングの曲はかなり個人的なものになっていた。本人は後に、そうした作品を3人による「民主的な」バンドの中で作っていくことに限界を感じていたと語っている。
さらにニューヨークのシェイ・スタジアムを満員にした時、一つの頂点に到達し、この先は成功を繰り返していくことになると感じたという。
1985年、スティングはソロへ進んだ。
ジャズから世界の音楽へ
最初のソロアルバム『The Dream of the Blue Turtles』では、ブランフォード・マルサリスらジャズを背景に持つミュージシャンを迎えた。
The Policeの成功した音をそのまま続けるのではなく、別の音へ進んだ。
1987年の「Englishman in New York」には、ジャズとレゲエ、ポップスが自然に共存している。
Sting「Englishman in New York」公式動画
同じアルバム『…Nothing Like the Sun』の「Fragile」は、環境保護の歌と思われることがある。しかし実際には、ニカラグアで殺害された米国人技術者ベン・リンダーをきっかけに書かれた曲だった。
1993年の『Ten Summoner’s Tales』には、「Fields of Gold」と「Shape of My Heart」が収められている。どちらも、旋律やリズム、声の置き方にスティング独特の世界がよく表れている。
1999年には、アルジェリアの大衆音楽「ライ(Raï)」の歌手Cheb Mamiと「Desert Rose」を制作。ここでは英語とアラビア語が同じ曲の中で交差させている。
Sting feat. Cheb Mami「Desert Rose」公式動画
さらに2006年には、16~17世紀イングランドの作曲家ジョン・ダウランドのリュート歌曲を一枚のアルバムにした。
・・ここまで離れた音楽へ行っても、スティング本人の輪郭が消えていない。
むしろ、異なる音楽を取り込むほど、スティング自身の音が見えてくるようだ。
音楽の外にある活動
一方、スティングは環境、人権、戦争などについても長く活動してきた。
1989年には妻のトゥルーディー・スタイラーらとRainforest Foundationを設立。ブラジルのカヤポ民族が伝統的に暮らしてきた土地の法的権利を得るための支援を行い、その最初の約束は1992年に実現した。単なる森林保護ではなく、先住民族の土地権や人権を含む活動だった。
宮崎・シーガイアとの接点
日本にも興味深い出来事がある。
1994年、宮崎の大型リゾート「シーガイア」の広告にスティングが起用され、「Take Me to the Sunshine」を提供した。
ところがシーガイアの開発をめぐっては、海岸部の松林の伐採などに対する反対運動が起きていた。
来日時の記者会見では、熱帯雨林保護に取り組むスティングに対し、シーガイア開発による自然破壊をどう考えるのかという趣旨の質問が出され、その後CMを降板したと伝えられている。ただし、質問と降板との直接の因果関係について、本人による説明や当時の会見記録までは確認できない。
そしてシーガイアの運営会社は2001年に会社更生法の適用を申請。象徴的だったオーシャンドームも後に閉鎖・解体された。現在は経営主体を変え、リゾートとして存続している。
環境活動で知られる世界的なアーティストを、大規模な自然改変を伴うリゾートの広告に起用した。
1990年代の大型開発を象徴するような一件でもある。
1985年と2022年、二つの「Russians」
スティングの社会的な活動を見る上で、「Russians」は興味深い。
1985年、冷戦下の米ソ核対立を背景に、最初のソロアルバムで発表された。
原曲では、国家同士が敵対していても、その国に暮らす人々まで敵なのか、という視点が示されていた。
米国にもソ連にも家族があり、子どもを愛する人々がいる。
冷戦下で、敵と味方という線引きから距離を置こうとした曲だった。
ところが37年後の2022年3月、スティングはこの曲をギターとチェロで再録音した。
この時にはロシアによるウクライナ侵攻を批判し、ウクライナへの連帯を表明。また、戦争に抗議するロシア人にも言及している。
さらに新録版の純利益をHelp Ukraine Centerを通じ、ウクライナへの人道・医療支援に充てると発表した。
1985年には、米ソ双方の人間性に目を向けた。
2022年には、同じ曲を使いながら、スティング自身が具体的な支援先を選んだ。
同じ「反戦」という言葉でも、ここには違いがある。
「反戦」も一つではない
ここでスティングだけを特別視しないために、同じウクライナ戦争に対して、音楽家の対応も一様ではないことをみておきたい。
Pink Floydのロジャー・ウォーターズは2023年、国連安全保障理事会でロシアによるウクライナ侵攻を批判する一方、そこに至った国際政治についても批判し、条件を付けない即時停戦を求めた。
「これ以上、ウクライナ人もロシア人も一人として命を失うべきではない」という立場だった。
Roger Waters 国連安全保障理事会での発言(YouTube)
さらに別の戦争になるが、トム・ウェイツ(Tom Waits)は2006年、イスラエル・パレスチナ問題を扱った「Road to Peace」を書いている。
この曲について本人は、どちらかの側につくための歌ではなく、双方を告発するものだと語った。米国によるイスラエルへの武器供与にも触れながら、双方で繰り返される暴力そのものを問題にしている。
Tom Waits「Road to Peace」をYouTubeで聴く
一方への具体的な支援を選ぶ人もいる。
双方から距離を取り、まず停戦を求める人もいる。
そして双方の暴力をともに告発する人もいる。
同じ「反戦」という言葉で括られていても、その中身は同じではない。
もう少しスティングを聴くなら
| アルバム | 主な曲 | 聴きどころ |
|---|---|---|
| 『The Dream of the Blue Turtles』(1985) | Russians / If You Love Somebody Set Them Free / We Work the Black Seam | The Policeから離れ、ジャズを大きく取り入れた最初のソロ作 |
| 『…Nothing Like the Sun』(1987) | Englishman in New York / Fragile / They Dance Alone | ジャズ、レゲエ、ラテンなどへ音楽が広がる |
| 『The Soul Cages』(1991) | All This Time / The Soul Cages | 故郷、海、造船の町という自身の原点 |
| 『Ten Summoner’s Tales』(1993) | Fields of Gold / Shape of My Heart / Seven Days | 旋律とリズム、スティング独特の音を楽しみやすい |
| 『Brand New Day』(1999) | Desert Rose / Brand New Day | 北アフリカを含む世界の音楽へ |
| 『Songs from the Labyrinth』(2006) | ジョン・ダウランド作品 | 約400年前の英国音楽に取り組んだ異色作 |
スティングは、一つの成功した形にとどまらなかった。
The Policeからジャズへ。そこからさらに異なる文化や時代の音楽へ。
音楽の独自性は、それだけでも十分に聴く価値がある。
その一方で、環境、人権、戦争などについて、本人がどのような発言をし、どのような行動を選んできたのか。
アーティストと政治を考える時には、作品とともに、そうした事実も見ておきたい。

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