今日は松竹梅シリーズの梅。「松竹梅」の中で、梅は「竹」や「松」に続く三番手になります。
「松」が不老長寿、「竹」がまっすぐな成長、「梅」が厳しい冬を乗り越えて早春に咲く生命力を象徴するものであり、梅の花は「気高さ」や「純潔」を表す花とされています。
今日は、和歌を中心にお伝えします。梅の文化に触れることで、春の気配を少し先取りしてみてはいかがでしょうか。その奥深さにはまってしまうかもしれませんよ。最後までお付き合いくださいね。
有名な歌人と梅の短歌
梅は、冬を耐え抜いて咲く生命力の象徴であり、和歌では非常に人気のある題材です。梅を詠んだ著名な歌人とその作品を、歴史的背景とともにご紹介します。
「梅」と言えば、まず菅原道真公が挙げられます。
菅原道真(すがわらのみちざね)
生没年: 845年 – 903年
時代背景: 平安時代前期の貴族であり、学者としても名高い人物です。
東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
(春風が吹いたら、その風に乗せて梅の花よ、香りを届けておくれ。主人がいなくなっても、春を忘れないで咲いておくれ)
道真が左遷される際に、自身の庭の梅の木に別れを惜しむ心が詠まれています。道真公の無念さや故郷への思いを象徴しており、梅が道真公の象徴となる由来にもなっています。彼の死後、道真は学問の神として祀られ、北野天満宮などにその名が残っています。
源実朝(みなもとのさねとも)
生没年: 1192年 – 1219年
時代背景: 鎌倉幕府第三代将軍でありながら、優れた歌人としても知られています。短い生涯の中で多くの和歌を詠み、『金槐和歌集』としてまとめられています。
出でていなば 主なき宿と なりぬとも 軒端の梅よ 春を忘るな
(私がこの家を出て行けば、主のいない家となってしまうだろう。だが、軒先の梅よ、どうか春を忘れずに咲いておくれ)
彼が自分の居場所や存在が失われることへの無常感を詠んだものとして伝えられています。自身が去った後も、梅が春を迎える姿を願うという表現には、自然に対する深い愛情とともに、自分の人生が続かないかもしれないという儚さが感じられます。
鎌倉時代の貴族や武士たちがもつ、自然を愛でる感性が伝わってくるようですね。梅は、冬を越えて早春に咲く花であり、実朝がその梅に自分の気持ちを託して詠んでいるようにもとれます。
実朝が暗殺されたのは、建保7年(1219年)1月27日、鶴岡八幡宮で右大臣拝賀の儀式が行われた直後のことです。なにかもうこの世から去るようなムードも読み取れるわけですが、この歌は辞世の句ではないようです。彼の和歌には、政治的な立場や個人的な感情が深く反映されています。
式子内親王(しょくしないしんのう)
生没年: 1149年 – 1201年
時代背景: 平安時代末期の皇族であり、優れた歌人としても名を残しています。『千載和歌集』や『新古今和歌集』に多くの作品が収録されています。
ながめつる 今日は昔に なりぬとも 軒端の梅よ 我を忘るな
(今日という日が過去になってしまっても、軒先の梅よ、私のことを忘れないでおくれ)
この歌は、式子内親王が自身の感情を梅の花に託して詠んだものとされています。彼女の作品は、繊細な感情表現と深い情緒が特徴であり、平安時代末期の和歌の発展に大きく寄与しました。
なぜ同じようなフレーズができるのか?
和歌、菅原道真、源実朝、式子内親王の梅の和歌をみてきました。なんだか、同じようなフレーズにみえるのは気のせいかしら?いいえ、気のせいではありません。似ていますね。
菅原道真、源実朝、次にあげる藤原定家も「自然が人間の存在を超越して続く」というテーマを共通して持っており、何かと似ていますのでみてみましょう。
藤原定家
おほかたの 主の栖(すみか)も なかりけり 春たつ花の 鶯の声
(広い世の中には、主人の住む場所さえも無いような儚さがある。それでも春が来れば花は咲き、鶯が鳴く
ここで、ちょっと、和歌の基本の知識もおさらいしながら理由を探っていきましょう。
伝統的な発想の継承
和歌の伝統では、先人が詠んだ歌を「本歌取り」する習慣があります。本歌取りとは、古い和歌の一部やその情景を引用しながら、新たな意味を付け加えて詠む技法です。
例えば、源実朝が詠んだ「軒端の梅よ 春を忘るな」は、菅原道真の「主なしとて 春を忘るな」に着想を得ている可能性があります。この場合、実朝は道真の和歌を敬意を込めて引用し、自分自身の状況を反映させたと考えられます。
時代背景と詠まれた心情
詠み人はそれぞれ異なる時代に生きていましたが、いずれも孤独や不安、無常感、時の流れと儚さなどの心情は、自然や季節を媒介として和歌に反映されやすく、結果として似通ったテーマや表現が生まれる要因となっています。
梅という題材の象徴性
梅は、冬を耐え抜いて咲く生命力の象徴であり、和歌では非常に人気のある題材です。ですから、多くの歌人が梅を取り上げるため、その結果として似たイメージや表現が多く生まれることになります。
同じようなフレーズがなぜできるかのまとめ
源実朝、菅原道真、藤原定家などの和歌が似ている理由は、以下のようにまとめられます:
- 和歌の形式とテーマの共有
- 本歌取りという伝統的な技法による影響
- 梅が多くの歌人が好むテーマ
- 無常感や孤独感といった共通の心情が、自然への訴えとして表現されたため。
これらの背景を理解することで、和歌が持つ深い文化的意味や歌人たちの思いがより明確に見えてきます。
ここでひとつだけ付け加えておきたいのは藤原定家の歌にでてくる「花」について。「梅」ではなく、「花」と詠っています。遠い記憶が蘇りましたので少し触れておきます。。
和歌において「花」という言葉が指す対象は、文脈や時代背景によって異なります。ただし、以下のポイントから、藤原定家の和歌における「花」が梅を指す可能性は十分にあります。
平安時代・鎌倉時代の「花」の意味
平安時代から鎌倉時代にかけて、和歌で「花」といえば一般的に「桜」を指すことが多くなります。しかし、それ以前の時代や特定の文脈では「梅」が花として詠まれることも頻繁にありました。
- 梅が主流だった時代: 万葉集の時代(奈良時代)では「花」といえば梅が一般的
- 桜が台頭する時代: 平安時代以降、桜が和歌の「花」として主流に。
藤原定家は鎌倉時代の歌人であり、平安時代の和歌文化を継承しつつも、和歌の伝統を革新した人物で「花」が桜を指すことが多かった時代であります。・・ということは、どっちの可能性もありますね。
この和歌の文脈での「花」
藤原定家の和歌における「春たつ花の 鶯の声」という表現は、春の季節感を強調しています。
- 鶯と花の関係: 和歌で「鶯」と「花」がセットで詠まれる場合、梅を指すことが多いです。梅の花が咲く頃に鶯が鳴き始めることから、梅と鶯は和歌の中で典型的な組み合わせとされています。
- 「花」が梅を指す可能性: 春の初め、まだ桜が咲く前の時期を指している可能性があり、この場合「花」は梅を意味していると解釈できます。
他の和歌との類似性
源実朝や菅原道真の和歌においても、「梅」が春の訪れや人の心情と密接に結びついています。定家がこれらの先人の和歌や梅の伝統を意識して詠んだ可能性も考えられます。
結論 藤原定家の歌の「花」は梅の可能性が高い。
藤原定家のこの和歌における「花」は、鶯とのセットで詠まれていることから、梅を指している可能性が高いです。ただし、桜の可能性も完全には否定できません。このような曖昧さ自体が、和歌の解釈の楽しさであり、日本の文学に奥深さがあるといえましょう。
私は専門家ではないので気ままに書くことができました。ただ、ある程度しかわかりませんでした。もっと読み取れる方、他の解釈があったら是非ご教授ください。時間があったら勉強したい、詠めるくらいになりたいなと思いました。
結び 歌会始の儀 梅を楽しむ
歌会始の儀は1月22日の予定
思いのほか、梅をテーマにした和歌に思いのほかエキサイトしてしまいました。以前も披講の話を書いたことがありますが、私の好きな題材です。
宮内庁の発表によれば、今年の歌会始の儀は1月22日に皇居・宮殿で執り行われる予定だそうです。テーマは「夢」。歌会始の儀では、天皇陛下、皇后雅子様をはじめ、皇族方や入選者の和歌が披露されます。注目してみてくださいね。
梅を楽しむ 熱海梅園
最後に。歌の世界が身についたところで、身近な場所で梅を楽しむこともいいと思いますので、ご紹介します。首都圏からも近い熱海梅園です。
熱海梅園は、静岡県熱海市に位置する日本有数の梅の名所で、約60品種・472本の梅が植えられています。例年11月下旬から3月上旬にかけて梅が咲き、早咲きから遅咲きまで長期間にわたり花を楽しむことができます。園内には滝や渓流もあり、四季折々の自然美を堪能できるスポットとして知られています。
梅の効能について書いたblogもありますので、そちらのほうも訪ねてみてくださいね。
最後までお読みくださりありがとうございました。
次回は松竹梅シリーズの第6回『梅』として、梅の種類と、比較的簡単?といわれる梅の植栽についてお伝えする予定です。
お楽しみに!
日本ホメオパシーセンター東京飯田橋
ホメオパス 植物療法士
横山みのり