意見を表明する?しない? ある葛藤、迷い、悩み
私が最近抱えている葛藤は、参加したある講義での出来事です。先生が参加者に対して質問に答える場面で、私は自分の意見を加えたかったのですが、他の参加者の意見を聞き、先生が回答を進める中で、自分の経験に基づいた意見を述べることを控えました。その理由は、あくまでも他者主催のフィールドであり、参加者として先生を立てるべきだと考えたからです。
この葛藤は、実は過去に否定された経験や自己表現に対する不安が影響している部分があり、インナーチャイルド(インチャ)の影響も無視できません。過去の反応が、今でも自分の行動や決断に影響を与えているのです。
他の参加者が意見を述べる中で、私は自分の経験から得た良い材料があったにもかかわらず、発言を避けました。その結果、結局のところ、私が思っていない結論に至ってしまい、そのことに納得できない部分が残ったのです。質問者は先生からの回答を求めており、一参加者である私は自分の意見を加えることに遠慮してしまったのですが、そのモヤモヤが残りました。
別の講義での経験:意見を控えた結果
後日、別の分野の講義に参加した際、同じような場面に遭遇しました。参加者の質疑応答の中で、主催者の先生が自分の専門に関連する質問に答える際、私は「おやっ」と思うような点がいくつかありましたが、これは私に言われているのではないと思い、発言を控えました。その後、Chatで一言だけ発信したところ、先生から否定的な意見を述べられました。やはり人様のフィールドでは意見を述べるべきではないのだと感じ、さらに、他者の思いで構成されている場で自分の意見を加えるのはマナーとして適切ではなかったのかなぁと思いました。
私が現在直面している葛藤は、参加したある講義で、主催者の先生が自分と異なる意見を述べた際、その場で自分の意見をどう表明するべきかという問題です。特に、他の参加者が質問をする際、私はその先生の権威を尊重し、意見を控えるべきだと感じる一方で、時には自分の意見を伝えるべきだという思いにも悩まされています。
この葛藤を抱えている時に、ふとソクラテスの「無知の知」の考え方を思い出し、それが私の考え方にどう影響を与えるのかを考えました。
ソクラテスの「無知の知」って?
ソクラテスが「無知の知」を提唱したのは、彼がアテナイの人々に対して行っていた問答法においてです。彼は、アテナイの人々が自分は知識を持っていると考えていることに疑問を持ち、その知識がどれほど限られているかを問い詰めました。ソクラテスは「自分が無知であることを知っていることこそが真の知恵である」と述べ、自己認識の重要性を強調しました。彼がこの理論を使った場面は、彼が「アポロの神託」を受けて自分の知恵を追い求めていた時期に特に顕著です。
その後、彼はアテナイの知識人たちに対して対話を試み、その結果、自分が無知であることを認識しました。この「無知の知」は、ソクラテスが自己認識と謙虚さを持って学び続ける姿勢を体現しているのです。
年齢を重ねたソクラテスと「無知の知」
ソクラテスは、年齢を重ねる中でも「無知の知」を貫いていました。
晩年になっても「自分が何も知らない」と繰り返し語り、他者に対しても謙虚に接しました。晩年の『プラトンの対話篇』の中で、ソクラテスは「私は何も知らない」と言い続け、知識を増やすことが知恵の全てではなく、むしろ自分の無知を認識し続けることで深い学びを得ることができると説きました。
年齢を重ねても、「無知の知」を忘れることなく実践し、自己認識を深めていた彼の姿勢は、学び続けることの重要性を教えてくれます。
「無知の知」提案と現代への応用
現代社会において「無知の知」を実践することは、私たちが抱える情報過多の問題に直面した際に非常に重要です。
私たちは自分の知識に自信を持ちすぎることがあり、知らず知らずのうちに偏った視点を持ってしまうことがあります。「無知の知」を実践することで、私たちは自分の知識の限界を認め、他者の意見を受け入れる柔軟さを養うことができます。これにより、誤った情報に惑わされることなく、正しい知識を見極める力をつけることができます。
また、意見交換を行う際も、この「無知の知」が大きな力を発揮します。自分が全てを知っているわけではないと認識することで、他者の異なる意見を尊重し、それを学びに変えることができるようになります。これにより、対話の質が向上し、より建設的な議論が生まれるのです。
まとめ 葛藤を乗り越えるために
私が直面している葛藤—意見を表明すべきか、静観すべきか—について、ソクラテスの「無知の知」の考え方を実践することで、柔軟に対応できるようになると感じています。そして、自分のなかのインナーチャイルドをみつめるよい機会になりました。
自分が無知であることを認識し、他者の意見に対して開かれた心を持つことで、適切なタイミングで自分の意見を述べることができるようになります。このプロセスは、私自身を成長させ、より深い対話へと繋がるものだと思っています。
「無知の知」を実践することは、単なる謙虚さではなく、自己成長と他者との調和を築くための重要なステップです。自分の無知を認め、学び続けることで、私たちは真の知恵を手に入れることができるのです。
日本ホメオパシーセンター東京飯田橋
インナーチャイルドセラピスト
横山みのり