今日、私のホメオパシーの師、由井先生の講演会での一コマから、想いもよらぬ気づきを得た。先生が「私の前世はガリレオ・ガリレイだった」と言った時、私はその話に深く吸い込まれることはなかった。
しかし、講演会の中でごく一瞬だけ触れられたジョルダーノ・ブルーノの名前。それが私の気持ちを完全に捉えてしまった。詳しく知らないはずの人物なのに、なぜか心を集中させる不思議な存在だった。
そこで私はブルーノについて調べ始めた。そして気づいた。
- ガリレオは「私は反証していない」と言い、最終的に教会の裁きに屈した。しかし、その後も自分の考えを密かに伝え続けた。
- ブルーノは「私の考えを曲げるくらいなら死んでもいい」と言い、最後まで完全に自らの信念を護った。
そして私自身も、不知のうちに「信念を護る生き方」に惹かれていたのだ。
【歴史は勝者によって書かれる】
私は元々18世紀に興味があり学んでいた。
そしてずっと「歴史は勝者によって書かれる」という認識を持っている。ただし、勝者の記録はつまり「一部の人間から見た真実」にすぎず、自分で展開して探り尽くすまでの真実ではない。
ガリレオが勝者だったというつもりはないが、勝者のイメージを強く持つ歴史上の人物であることは確かだ。
一方、ブルーノは「私の知る限りの真実」を口にしたことでフィオーリのように静かに歴史に埋もれた。私は、その「埋もれた真実」の中にこそ、本当の理解があるのではないかと思ったのだ。
この気づきは、私の生き方や信念にも深く繋がっているような気がする。
私の信念は何だろう。これからの活動に派生させるためにも、もっと考えてみたい。
横山みのり