【東と西の叡智から】#1選択と委ねること──聖書と仏典に学ぶ人間の自由

東と西の叡智から

1.はじめに

このシリーズ【東と西の叡智から】では、
東洋と西洋、それぞれに受け継がれてきた智慧をたずねながら、
現代を生きる私たちに静かな光を届けることを目指しています。

第1回のテーマは、「選択と委ねること」です。

人生において、私たちはしばしば選択を迫られます。
自ら決断する場面もあれば、誰かに助けを求めたくなる場面もある。
では、「選択すること」と「人に委ねること」は、矛盾するのでしょうか。

この問いに対して、東西それぞれの叡智は、静かに答えを示しています。

2.西洋の叡智──聖書にみる「信じること」

聖書『ヘブライ人への手紙』には、こう記されています。

「信仰とは、望んでいる事柄を保証し、見えない事実を確信させるものである。」
(ヘブライ人への手紙 11章1節)

ここで語られているのは、
信じることは結果を保証するものではない、という厳粛な事実です。
人は、未来がどうなるか分からないまま、
それでも「今、信じる」という行為を選び取ります。

誰かに委ねるときも、
その「委ねる」という行為自体が、自らの自由意志に基づく選択である限り、
人はなお、自らの人生に責任を持っているのです。

背景
この言葉が語られたのは、初代キリスト教徒たちが迫害の中にあった時代です。
信仰を持つこと自体が命を賭けた選択であり、
目に見えない希望にすがりながら、彼らは日々の決断を重ねていました。
その中で、「信じる」という行為は、未来の保証ではなく、
今ここにある選択の勇気を意味していたのです。

3.東洋の叡智──仏典にみる「自らをよりどころとせよ」

仏教においても、仏陀は最後の教えの中でこう語りました。

「自らを灯火とし、自らをよりどころとせよ。」
(大般涅槃経)

この教えは、
最後に頼るべきは他人ではなく、自らである、という厳粛な真理を示しています。

他者の助けや導きを受けることは否定されていません。
しかし、最終的に自らの道を歩み、自らを支えるのは、
他でもない自分自身である、という教えです。

背景
この言葉は、仏陀が入滅を間近に控えたとき、
弟子たちに遺した最後の教えの一つです。
師を失う不安の中で動揺する弟子たちに向かって、
「自分自身を灯火として進みなさい」と励ましたのです。
仏陀は、永遠に導いてくれる存在ではなく、
最後は一人一人が、自らの内なる光を頼りに歩むべきだと説きました。

4.選択と委ねること──それは矛盾ではない

聖書も仏典も、
誰かに委ねること自体を否定してはいません。

むしろ、
委ねることもまた、自らの意志による選択であると教えています。

自ら選び、
ときに委ね、
そしてなお、自らの道を歩んでいく。

それが、
私たちが静かに生きていくための、確かな姿なのだと思います。

選択は、
常に、
静かに、
確かに、
私たち自身の手の中にあります。

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