20世紀初頭、人類未踏の地、南極点をめぐってふたりの男が動き出しました。イギリスのロバート・スコットと、ノルウェーのロアール・アムンゼン。結果は歴史が語る通り、アムンゼンの勝利。しかし、これは単なる「到達の早い者勝ち」ではありませんでした。極地という極限状態が、科学と文化、思想と命の選択を容赦なく浮き彫りにしたのです。
スコットとアムンゼン──その違いはどこにあったか
■ 探検の目的と背景
- スコット:科学探査と国家の威信を重視。英国王室・地理学会の支援を受け、南極点到達は「栄誉と科学的使命」だった。
- アムンゼン:目的は明確、「最初に南極点に立ち、生きて帰ること」。北極探検から南極へ急遽目標を変更。政府の支援はなく、ほぼ私費と寄付による実行。
■ 地理と文化的背景の違い
項目 | アムンゼン(ノルウェー) | スコット(イギリス) |
---|---|---|
出身地の環境 | 極寒地帯。狩猟文化・犬ぞりが日常 | 温暖な気候。馬を用いる文化が主流 |
衣類 | トナカイ毛皮、脂肪食、毛皮靴 | 英国製ウール、重厚な装備 |
食料と移動手段 | 犬ぞり+犬肉を利用 | ポニー、モーターソリ、人力 |
優先した価値 | 機能性・効率・生還 | 理想・名誉・記録 |
犬ぞりという「生きる技術」──アムンゼンの成功戦略
アムンゼン隊はおよそ52頭のグリーンランド犬を連れて南極に向かいました。彼の考えは明快でした。「犬は最も信頼できるパートナーであり、最も有効なエネルギー源でもある」。
アムンゼンは途中で犬を安楽死させて、他の犬や隊員の食料にすることを最初から計画に組み込んでいました。このことは、冷酷に聞こえるかもしれませんが、極地で生き延びるためには必要な「選択」でした。
隊員の日誌には、犬への感謝とともに、その死を悼む言葉も残されています。特に「オスカー」という犬は信頼されたリーダー犬で、南極点到達時の写真にも写っています。帰還時には11頭が生き残り、全員が無事帰国しました。
静かなる毒──スコット隊を蝕んだ鉛
スコット隊が携行した缶詰には、鉛で封をする技術が用いられていました。これは当時の缶詰製造の一般的な技術でしたが、実際には加熱・寒暖差によって鉛が溶け出すリスクがありました。
彼らの遺体からは高濃度の鉛が検出されています。鉛中毒の主な症状には、判断力の低下、疲労感、情緒の不安定さ、幻覚などがあり、スコット隊の日誌に記録された症状と一致しています。
つまり、彼らは吹雪や飢餓だけではなく、「見えない毒」との戦いをもしていたのです。これは、近代科学の裏側にある“知らなかったことのリスク”を象徴していると言えるでしょう。
決定的な差を生んだ5つのポイント
- 出発時期と準備の精密さ:アムンゼンは慎重に天候と太陽高度を計算して出発。スコットは日程がずれ込み、遅れをとった。
- 装備と衣類:アムンゼンはイヌイット文化に学び、毛皮中心。スコットは英国製ウール中心で、重く乾きにくい。
- 移動手段:アムンゼンは犬ぞりを熟知。スコットはポニー(寒さに弱く途中で全滅)、モーターソリ(故障)に依存。
- 補給計画と食料:アムンゼンは補給地点を正確に設置。スコット隊は位置ずれや不足が起きた。
- 価値観と文化:アムンゼンは現実と生存を重視。スコットは理想と記録を重視。
南極点到達、その運命の分かれ道
- アムンゼン隊:1911年12月14日 南極点到達(犬ぞり18頭とともに)
- スコット隊:1912年1月17日 到達(33日遅れ)
スコット隊は記念写真を撮影し、記録を残して帰路につきましたが、途中の吹雪・飢餓・判断力低下により全滅。最後の日誌にはこう書かれています:
「私たちは最後まで、名誉をもって戦った。神が私たちを見てくださることを願う。」(ロバート・スコットの日誌より)
今、私たちが学ぶべきこと
- 犬という命の力:道具ではなく、仲間として人を助けた存在。
- 鉛という近代技術の落とし穴:安全と思われたものが命を奪うこともある。
- 文化・判断・準備の差が、命運を分ける:極地では理想よりも現実が優先される。
“命を支えたのは犬だった。命を奪ったのは見えない鉛だった。”
(筆者による要約引用)
南極点への道は、単なる探検の話ではなく、私たちが「いま」どう生きるかを問う物語なのです。
参考文献
- ロアール・アムンゼン『南極点征服』
- ロバート・スコット『スコット極地探検記』
- ローランド・ハントフォード『南極点への競争』
- スーザン・ソロモン『ザ・コールデスト・マーチ』
- BBCドキュメンタリー「Race to the South Pole」
※この記事は、私の愛犬の命日に寄せて執筆しました。勇敢に生きたすべての犬たちに、敬意を込めて。