今日は3月11日。
東日本大震災で亡くなられた方々に、心より哀悼の意を表します。
ご遺族の皆さま、被災された皆さま、そして今なお深い傷みや喪失を抱えておられる方々に、静かに思いを寄せたいと思います。
あの日は、単に大きな地震と津波が起きた日というだけではありませんでした。
多くの命が失われ、暮らしが失われ、地域が変わり、日本全体の価値観や不安までも変えてしまった出来事であったと思います。
自然、社会、国のあり方、そして私たち一人ひとりの生き方にまで、大きな問いを残した日でした。
現場で踏みとどまった人
先日も、福島第一原発事故当時の吉田昌郎所長を取り上げた番組が放送されていました。
現場で踏みとどまり、判断し、動いた人がいたからこそ、さらに深刻な事態を防ぐことができたのではないか。
そんなことを、あらためて考えさせられました。
吉田氏については、2013年7月に食道がんで亡くなったと公表されています。
東京電力の訃報にも、そのように記載されています。
時間が経って見えてくること
一方で、この震災をめぐっては、後になって見えてくること、長い時間を経てようやく表に出てくることがあまりにも多いとも感じます。
福島県双葉町の元町長・井戸川克隆氏は、2013年の街頭演説で、政府は震災の8日前に知っていたという趣旨の発言をしています。
また原発事故後の情報の扱われ方や、その後の訴訟の経緯を見ても、3.11という出来事は、単なる自然災害という言葉だけでは整理しきれない思いを抱く人がいるのも無理のないことだと思います。
残された問い
また、「トモダチ作戦」に関わったアメリカ軍兵士たちの健康問題をめぐる訴えも続いています。
彼らがなぜそこにいたのか、どのような任務で、どのような環境に置かれていたのかという問いも、今なお残されています。
さらに、地震の波形をめぐる議論についても、震災直後には一部で取り上げられていました。
その波形が不自然ではないかという指摘です。
しかし、その後あまり報道されなくなり、現在ではほとんど触れられることがありません。
削除されたのか、単に報道されなくなったのかは、私にはわかりません。
ただ、過去のさまざまな出来事を見ていても、最初に出た報道が後になって消えてしまうことは珍しくないように感じます。
震災のような大きな出来事では、第一報は混乱のなかで出されるものですが、そのぶん現場の状況をそのまま伝えていることも多いのではないか――私はそんな印象を持っています。
個人的に出会った記憶
私は、一見まったく関係ないように思われるかもしれませんが、これまでに、この震災でご家族を失った方の相談を受けたことがあります。
そしてまた別の機会には、3.11直後の事故対応に関わった方のお話を直接聞かせていただく機会もありました。
ヘリコプターで上空から現場を巡ったという話や、国の交渉事に関わった方でした。
もちろん、その詳細を書くことはできません。
ただ、この出来事が、私たちが表面で知っている以上に複雑で重いものであったことだけは強く感じました。
復興という長い道
災害そのものによる犠牲だけでなく、その後の避難生活や心身の負担のなかで亡くなられた方々もおられます。
復興庁によれば、2011年度から2025年度までの復旧・復興事業の規模は、およそ32兆円とされています。
それほどの歳月と費用が投じられてきたという事実自体、この出来事がどれほど大きく、日本という国を変えてしまったかを物語っているように思います。
知るための資料
原発事故や電力行政の問題については、長く取材を続けているジャーナリストもいます。
たとえば、記者として電力会社や原発政策を追い続けてきた日野行介さんの著書には、当時の経緯や背景が詳しくまとめられています。
より深く知りたい方は、そうした資料に当たって、それぞれが判断していくことも大切なのではないかと思います。
忘れないということ
3.11は、過去の一日ではありません。
あの日の出来事は、今もなお人の心に、土地に、社会に、長い影を落としています。
亡くなられた方々への祈りとともに、
この出来事を忘れず、考え続けていくこともまた、残された私たちの務めなのかもしれません。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。


