「知っているのに、なぜ伝えないの?」──静かな言葉が胸に残るとき

ちょっと考えてみる

「知っていながら、それを為さないのは、その人にとって罪として数えられる」

ある日、ふと目にしたこの言葉が、なぜか胸に残りました。

新約聖書『ヤコブの手紙』に記された一節です。
ヤコブは、紀元1世紀にエルサレム教会のリーダーを務めた実在の人物。
イエス・キリストの兄弟とも言われていますが、ここで大切なのは宗教性ではなく、「気づいた者の責任」について語られている点です。

「明日、何が起こるかわからない。だからこそ、今、善いと知っていることを実行しなさい」

この背景にあるのは、後回しにせず、誠実に“今”を生きることの大切さなのだと思います。

🧭 自然療法を通して、私が感じていること

私は自然療法――とくにホメオパシーに関わっています。

もともとは、医師から「一生治らない」と言われた体の症状に違和感を抱いたのがきっかけでした。
西洋医学を否定するのではなく、「他にも道があるのではないか」と、自分自身で探し始めたのです。

実際に、自分の体で試し、少しずつ良くなっていく過程がありました。
それが、今この療法を学び、伝える側になった理由です。

🎯 最短で、最善を尽くすやり方

私が自然療法を提供するうえで大切にしているのは、「最短で、最善を尽くすこと」です。
時間をかけることよりも、その人にとって本当に必要なことを、誠実に選び抜く姿勢を大切にしています。

派手なことではなく、静かに、丁寧に、でも的確に。
“誠実であること”が、私のやり方の基本です。

🤔 それでも、ときどき感じる「バトンが渡っていない」場面

人は、困っているときに助けを求めます。
でも、良くなったあとに、「あれが効いたかどうかはわからない」「言わなくてもいいかな」と口を閉ざす方もいらっしゃいます。

また、自然療法について「詳しくは言わないけど使いたい」「知ってるけど教えない」
そんなやりとりも、実はよくあります。

でも私は思うのです。
それって、バトンが渡っていないのでは?

📖 聖書には、こんな言葉もあります

「多く与えられた者は、多くを要求される」
(ルカの福音書12章48節)

「人はともし火をともして、それを升の下に置くことはしない」
(マタイの福音書5章15節)

この“ともし火”や“与えられた気づき”は、自分一人のものではないというメッセージです。
何かを受け取ったなら、それをどう生かすか。
それを次の人にどう渡すか。
それが問われているのです。

💬 伝えたくないなら、はっきり「違う」と言えばいい

私は、ホメオパシーをすべての人に勧めたいわけではありません。
むしろ、「合わない」「違う」と思うなら、そう言っていただくほうが誠実だと思っています。

でも、少しでも「いい」と思ったなら、黙っていないでほしい。
その小さな気づきが、誰かの助けになるかもしれないからです。

🕊️ 最後に、ひとつだけお願いがあります

このブログは、ただ「いい話だったね」と思ってもらうために書いたのではありません。

🌱 どうか、あなたの大切な人に、そっと渡してください。

URLを共有するだけでもかまいません。
経験を口に出すのが苦手なら、「こういう考え方があるよ」と伝えるだけでも。

これは慈善事業ではありません。
でも、あなたが得たものを、自分の中だけにしまい込まないでいただきたいのです。

それが、知っている人の優しさのかたちであり、
私が今日、ここに書き記した理由なのです。

日本ホメオパシーセンター 東京飯田橋・麻布十番
センター長 ホメオパス  横山みのり

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