王は疫病を治せなかったのか ― オイディプスという国家の心理

東と西の叡智から
©eastwest-forum


古代ギリシアの神話が、現代の私たちに投げかける問いって、意外に鋭いですよね。
ソポクレスの悲劇『オイディプス王』は、ただの家族の悲惨な運命じゃなく、国家の崩壊と個人の傲慢を映す鏡。街が疫病に蝕まれ、王が原因を追う過程で、真実が自分自身を指す――この構造は、心理療法や政治のメタファーとして今も生きています。
今日は原作の哲学を紐解きながら、フロイトとユングの解釈や現代の適応を加えて、その深みを探ってみましょう。

https://theconversation.com/plagues-follow-bad-leadership-in-ancient-greek-tales-133139
テーバイの疫病シーン。物語の絶望が伝わってくる

原作の哲学的な側面

街が死んでいく。子どもが産まれない。家畜が倒れる。祈りは空に吸われ、答えは返らない。
古代ギリシア、テーバイ。疫病が蔓延していた。王は立ち上がる。オイディプス。彼は名君だった。スフィンクスの謎を解き、街を救った英雄。理性的で、決断力があり、民衆に信頼されていた。だからこそ、彼は宣言する。「原因を突き止める。必ず救う。」

ここで、私たちは違和感を覚える。それはどこか、治療者の姿に似ているからだ。原因を求め、彼は神託に問う。デルポイの神託は告げる。「この国に穢れがある。かつて王を殺した者が罰せられていない。」ここで登場するのが、盲目の預言者テイレシアス。見えない者が真実を見る。

オイディプスは迫る。「犯人を言え。」しかし預言者は躊躇する。「あなた自身だ。」

ここから物語は急転する。父を殺したのは事実か。
そうだ。道端の争いで、彼は老人を殺している。それが実父ライオスだった。剣で斬った。怒りと衝動の中で。だが彼は知らなかった。知らずに父を殺し、知らずに母イオカステと結婚していた。

ギリシア悲劇の核心はここにあり、無知や運命ではなく、ヒュブリス(傲慢)が人間を破滅させる。オイディプスは真実を「制御できる」と思い込み、神の領域に踏み込む。家族の秩序が壊れ、国家が疫病に侵されるのは、個人の歪みが社会全体に波及するメタファー。

ソポクレスはこれを通じて、カタルシス(浄化)を観客に与え、運命の不可避性を哲学的に描いている。疫病は単なるウイルスではなく、秩序の崩壊の象徴――王の内側の穢れが、外界に現れるのだ。

https://adastrapermundum.com/2019/11/06/oedipus-in-art/  
コロノスのオイディプスとアンティゴネ。英雄の末路を象徴

フロイトとユングの解釈、現代の哲学的な側面

心理学者フロイトはこの神話を読んで衝撃を受けた。彼は言う。「これは人間の無意識の欲望の象徴だ。」父を排除し、母を求める衝動。それがエディプス・コンプレックス。だが、ここで立ち止まりたい。フロイトは心理に落とし込んだが、この物語はそれだけではない。

一方で、ユングはフロイトの性的解釈を批判し、オイディプスを集合的無意識の原型(archetype)として位置づけた。父殺しと母との結婚は、人類共通の神話パターンで、個人の無意識を超えた集団的な深層心理を表すというのだ。

フロイトの個人的・性的な視点に対して、ユングはより広大な精神の風景を描き、物語を人類の永遠のドラマとして昇華させる。これにより、フロイトを馬鹿にする声もあるが、両者は補完し合う――個人的な葛藤が集団的な神話に繋がるのだ。 国家と家族は同じ構造を持つ。父を殺す。母と結婚する。家族の秩序が壊れる。同時に国家が疫病に侵される。

これは偶然ではない。ギリシア悲劇では、王の歪みは国家の歪みになる。家族問題は国家問題。そして逆も然り。 傲慢の本質は、無知ではない。彼の罪は、真実を暴けば解決できると思ったこと。それは現代的だ。だが、そこにヒュブリスが潜む。神の領域に踏み込んだとき、秩序は崩れる。自ら目を潰す――真実を知ったとき、彼は逃げない。妻であり母であったイオカステは首を吊る。オイディプスは彼女の衣の留め金で、自らの目を突く。剣ではない。王の武器ではない。衣の針。これは象徴だ。見ることを信じた王が、見ることを放棄する。

この構造は現代作品に繰り返される。1967年のイタリア映画『オイディプス・レックス』(パゾリーニ監督)では、原始的な風景で無意識の深淵を描き、1980年代の邦画『オイディプスの刃』も家族の崩壊を政治的に再解釈している。私自身、この映画を見に行ったんだよね。昨年末、パンフレットを処分したばかり! 古尾谷雅人、渡辺裕之――今は亡き俳優さんたちの演技が印象的で、増村保造監督が神話を現代に鮮やかに蘇らせた作品だった。

また、数多くの小説、戯曲、映画(例: コクトーの『地獄の機械』や、最近の心理ドラマ)がこの神話を土台にしている。なぜか。それは、疫病、政治、家族の崩壊、真実の暴露、自己裁きが普遍だからだ。これ、深い。身体に起きる症状と似ていないだろうか。

https://adastrapermundum.com/2019/11/06/oedipus-in-art/  
盲目のオイディプスが子供たちを託すシーン。自己処罰の余韻がうかがえる

まとめ

疫病とは何か。疫病はウイルスかもしれない。腸チフスかもしれない。だが神話において疫病とは、秩序の崩壊の象徴。王の内側の歪みが、外界に現れる。あなたはどの位置に立つのか。王のように「解決する者」か。それとも伴走者か。オイディプスは誠実だった。だが、全能ではなかった。疫病は、彼自身だった。

この物語は、私たちに問い続ける。あなたは、どこまで介入するのか。真実を暴くことが、本当に救いになるのか。それとも、ときに目を閉じる勇気が必要なのか。

古代の悲劇は、現代の政治や心理療法に静かに語りかける。真実の追求が破壊を生む時、私たちはどう生きる?


東西交流フォーラム

error: Content is protected !!