AMラジオから、突然聞こえてきた声―それが棟方志功の肉声 青森が気になる件について

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青森が気になる

最近、青森が気になっている。
静岡に住む私が、そんなふうに思うようになったのは、先日、何気なくつけたAMラジオから流れてきた声がきっかけだった。

力強い声に、濃い津軽弁のリズム。途中からタイムボカンに出てくるような声に似ているなと思ったが、違った。版画家・棟方志功本人の、1970年のインタビュー音声だった。

この声の主は、50代になってから世界に知られるようになった。1956年、53歳の時にヴェネツィア・ビエンナーレで日本人初の国際版画大賞を受賞したのだ。

聴き逃し配信(2026年2月1日まで)

  • 番組:伊集院光の百年ラヂオ「わたしの少年時代・棟方志功」
  • 配信ページ:https://www.nhk.jp/p/ijuin100r/rs/KZ1MQWYKVV/episode/re/57NYG298MP/

棟方志功と民芸運動

棟方志功は1936年に柳宗悦(1889-1961)の民芸運動に出会い、柳を生涯の師と仰いだ。

柳宗悦は兵庫県出身の哲学者・美学者である。日本の民衆の生活の中で生まれた日用品や職人の手仕事にこそ本当の美があると提唱し、「民芸運動」を始めた。

民芸運動とは 「民衆の生活の中で自然に生まれた日用品にこそ、真の美しさがある」という思想に基づく運動である。 「用と美の調和」を重視し、大量生産品ではなく、職人が日常のために作る素朴な器や布、家具などに本来の美を見出そうとした。 民芸品を再評価し、職人の技と自然素材の美を大切にする姿勢が特徴だ。

この思想に強く影響を受けた棟方志功は、木版画を「板画」と呼んで独自のスタイルを確立した。

棟方志功と板画のこだわり

自分の作品を「版画」ではなく「板画」と呼んでこう語っていた。

「板の命を活かす」
「板の声を聞き、板の命を彫り出す」
「板の命を殺さない」

実際の肉声では、津軽弁で「いたのめいをいかさねばならねえ」「いたのこえをきいて、いたのめいをいかしてほる」といった感じで、熱く語っていたと思われます。

なぜ「板画」なのか。

「版」という字は木を半分に割った意味だが、
棟方は板全体の命――木目、節、ひび割れ、凹凸、木の質感――を大切にしたかった。
伝統木版画は分業で細かく彫り、多色刷りで滑らかに仕上げる。しかし棟方はすべてを自分でやり、板に顔を近づけて力強く彫った。黒一色を基本に、板の凹凸や墨の濃淡を活かし、手で色を入れる裏彩色も使った。板そのものが語る声を生かしたかったのだ。

芹沢銈介との関係

静岡出身の型絵染作家・芹沢銈介とは、柳宗悦を共通の師とする民芸運動の同時代作家である。型染めと板画という違う技法のため深い交流は限定的だったが、合同展は複数回開かれている。

記念館の今

青森市にあった棟方志功記念館は2024年3月に閉館した。現在は青森県立美術館に移管され、常設展示されている。

青森のりんごと木村秋則さん

青森といえば、やはりりんごだ。特に木村秋則さんの「奇跡のりんご」。
弘前市で無農薬・無肥料栽培に挑戦し、10年、15年……ほとんど収穫ゼロの長いカウントダウンが続いた。借金、孤立、厳しい雪国の土壌の中で、それでもあきらめなかった。
「ここでオラがあきらめるということは、人類があきらめるということだ」
1989年にようやく世界初の成功を収めた。

その過程で畑でUFOを目撃したり、宇宙人関連の不思議な体験もされたという。
この話は、私の以前のブログでも触れたたことがある。興味がある方はそちらも読んでみてほしい。

最後に

棟方志功の板画の声、青森の人々の温かさ、ねぶた祭の灯り、雪国で育つりんごの生命力……どれも素朴で、人間の深い味わいがある。

こんなふうに知ったかぶって書いてはみたものの、実は、本ブログ管理人の私は青森にいったことがない。2000年代はじめにモスクワからご縁をいただいている方もいるのだが未だに実現できていない。けれども、今回ばかりは青森へ俄然行きたくなっている。

この棟方の声を聞いた後、先輩から、とあるライングループへ誘われ、青森を身近に感じられるようにもなったというのも大きい。不思議だ。

このブログを目にしたあなたもご縁ができた。興味をもってもらえたら嬉しい。

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