徳川家康遺訓
「人の一生は重き荷を負うて遠き路を行くが如し、急ぐべからず。不自由を常とおもへば不足なし。心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりを敵と思へ。勝つことばかり知りて負くる事を知らざれば害其身に至る。おのれを責めて人をせむるな。及ざるは過ぎたるに勝れり。」
まずは家康公の深いお言葉からはじめてみました。
ご無沙汰してしまいました。しばらくblogを休んでしまったのは、日光旅行の後、体調を崩しておりました。なんだか情けない感じもしますが、時々風邪をひくというのも自然な大掃除の意味でいいらしいですよ(実際は辛いですので、避けたいですが)。私も薬を飲め!医者にいけ!という家族の言葉を振り切り(😂)毎度のことですが、ホメオパシーで自己治癒力を触発して乗り切りました。
日光といえば、東照宮!ですね。行ってまいりました。キャッチの写真は日光東照宮、奥宮のお写真です。
東照宮というと、上野東照宮もいれて三大東照宮とはいいますが、一般的には2つが取り上げられますね、日光東照宮と久能山東照宮。家康公はどちらに眠っているの?いろんな書き物をみるうちに、ちょっと??疑問、曖昧だなと思ったので、今日はまとめることにします。
家康公 どっちの東照宮に眠っているのか問題
家康公、臨終15日前の1616年4月2日、自分の死期を悟って、遺言を伝えました。
「自分の遺体は久能山に収め、葬儀は増上寺で行い、位牌は三河の大樹寺に立て、一周忌が過ぎたら日光に小さきお堂をたて、そこに勧請し八州の鎮守となる」
勧請とは、神仏の分霊を請(しょう)じ迎えることです。分霊ですね。
2代将軍秀忠公は遺言通り簡素に日光東照宮を作ったようです。1617年(元和3年)に父を祀る霊廟として建てられましたのです。綺羅びやかな様相になったのは三代将軍家光公の頃からのようです。驚くほど豪華絢爛。久能山がかなり渋く思えましたよ。
毎年、家康の命日である4月17日に御例祭が久能山東照宮が行われています。
1ヶ月遅れの5月17日に日光東照宮例大祭が行われています。でもその時には、肝心の奥宮にはお参りされていないようです。
このような事情や、暑い時期に遠路はるばる堀りおこして御亡骸を移すのかという疑問から、やはり、家康公の眠る場所は久能山だと考えられます。
ちなみに「御例祭」「例大祭」というお言葉は徳川記念財団チャンネルの公式のYouTubeで使われていたものです。この言い回しからも東照宮に御亡骸があるとお察しできるのではないでしょうか。
真田広之『SHOGUN』将軍の影響?
それにしても日光は外国人が多かったと感じました。帰りのJR日光駅から宇都宮までの車両、日本人のほうが少なかったのではないかという状況でした。
円安の影響もあるとは思いますが、もしかして、『SHOGUN 将軍』影響も手伝っているの?ふと思いました。今年、話題になったディズニープラスのドラマですね。主人公の吉井虎永は、徳川家康をモデルにしたといわれる戦国武将で、『SHOGUN』は天下統一を目指して敵対勢力と争う歴史スペクタルドラマ。主人公は真田広之が演じて、キャストや演出までも日本、本物にこだわった大作です。この作品の外国人へのよい影響は大きいように感じているのですがそうじゃないのかな?

ただの旅行者の私でさえも、いつになく多くの外国人に話しかけられました。日本人の所作についてもかなり好意的に受け入れられているような気がしているのは私だけでしょうか。
まとめ
日光東照宮は、1999年に世界遺産「日光の社寺」に登録されています。
境内には国宝8棟、重要文化財34棟を含む55棟もの建造物があります。その豪華絢爛な美しさは、現代の我々日本人や外国人観光客を圧倒するほどです。歴史上の人物がその後の発展にも影響を及ぼことに改めて感服しました。
末永い平和が続きますようお祈りします。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。
日本ホメオパシーセンター東京飯田橋
横山みのり