ある禅僧がこんな話をしました。
「川の水を手ですくっても、すぐに指の間からこぼれ落ちる。過ぎた水を握ろうとしても、どうすることもできない。ただ流れるままに見送り、新しい水を迎えるだけだ。」
私たちの人生も同じです。
過去に起きた出来事や、心に刻まれた記憶は、まるで川の流れのように常に移り変わっていきます。
しかし、人は時に、その流れ去った水をどうにか掴もうとすることがあります。
「あのとき、こうすればよかった」「なぜ、あんなことが起きたのか」と、過去に思いを巡らせ、何度も心の中で繰り返しながら、そこに留まろうとするのです。
でも、本当に大切なのは、流れ去った水ではなく、今この瞬間に自分の手元にある水なのではないでしょうか。
🏯過去は消せない、でも意味は変えられる
ある寺の門前に、一人の旅人がいました。彼は悔恨に苛まれ、師にこう尋ねます。
「過去の過ちを消し去ることはできるでしょうか?」
すると師はにっこりと微笑み、庭の砂の上に一本の線を引きました。
「この線を消さずに、小さくする方法を知っているか?」
旅人は消し去る方法を考えましたが、思い浮かびません。すると師は、その線の隣にもっと長い線を引きました。
「こうすれば、最初の線は短く見える。」
過去を消すことはできません。でも、新しい経験や学びを重ねることで、その意味を変えることはできます。過去が苦しいものであったとしても、それを糧にして新しい道を歩めば、やがてその出来事の影響は小さくなっていくのです。
🌿 「なかったことにする」ことではない
過去を引きずらない生き方とは、「なかったことにする」という意味ではありません。
むしろ、その出来事を受け入れたうえで、そこに縛られないということ。
たとえば、木々は春に芽吹き、夏に青々と茂り、秋に葉を落とし、冬を迎えます。でも、冬になったからといって、木が「もう葉を落とすのは嫌だ!」と過去にしがみつくことはありません。木々はただ、自然の流れに身を任せ、やがて訪れる春を迎える準備をするのです。
私たちも、落ち葉を拾い集めるのではなく、次の春に向けて新しい芽を育てる心持ちでいたいものです。
🕊 「今」に心を向ける
過去に縛られずに生きることは、決して無責任なことではなく、「今を大切にする」ということ。心を未来にばかり飛ばしすぎても、過去に囚われすぎても、私たちは足元の「今」を見失ってしまいます。
風が吹けば、その風を感じる。
鳥の声が聞こえれば、その声に耳を澄ます。
目の前に誰かがいれば、その人の言葉を大事に聞く。
そうやって生きていれば、過去は自然と遠ざかり、「今」という瞬間が、自分の中に深く根を下ろしていきます。
🌸 「過去は振り返らないものではなく、手放すもの」
川の流れを無理に止めることはできません。でも、その流れを見送りながら、新しい水を迎えることはできます。
あなたの手にはどんな水が流れているでしょうか?
それをすくい、味わい、そしてまた流していく──そんな生き方をしてみませんか。