自然は支えあい、そして栄える──ダーウィン進化論を超えて

自然

100本目のブログに寄せて

「互恵で栄える生物界」から見える自然の真実

森を歩くと、木々や土や鳥たちが、まるで何かを語り合っているように感じることがあります。
それは、単なる感傷ではないかもしれません。

私は以前から、ダーウィンの進化論、特に「弱肉強食」や「生存競争」という言葉に、どこか違和感を抱いていました。
本当に自然界は、弱いものを淘汰し、強いものだけが生き残る世界なのでしょうか?
そんな疑問を持ち続けていた私にとって、今回出会った本『互恵で栄える生物界』は、心から共感できるものでした。

この本は、私たちが思い描いてきた「自然=競争社会」というイメージを、根本から揺さぶります。
森とキノコ、ビーバーと牛、コーヒーとアリ、鳥のフンとサンゴ礁…。
一見バラバラに思える存在たちが、実は互いを助け合い、支え合いながら、豊かな生態系を築いているのです。

それは単なる理想論ではなく、生物学者、農民、研究者たちのリアルな観察と実践によって裏付けられています。
生き物たちは、単に他を蹴落とすのではなく、互いにメリットを与えあいながら生きています。
そして、その関係は想像以上に複雑で、繊細で、美しい。

生存とは、奪い合いではなく、分かち合いであり、
繁栄とは、勝ち抜くことではなく、支えあうことなのかもしれません。

ダーウィン進化論への疑問

進化論といえば、一般に次のようなイメージが広がっています。

  • 強いものが生き残る
  • 環境に適応したものだけが繁栄する
  • 人間はサルから進化した

けれども、私はずっと腑に落ちない思いを抱いてきました。
特に「人間がサルから進化した」という考え方には、大きな違和感があります。
たしかに遺伝子レベルでは類似点も指摘されていますが、
人間の持つ意識や精神性は、単なる肉体の変化だけでは説明できない、大きな飛躍があるように思えるのです。

そもそもダーウィン(1809年~1882年)が提唱したのは、「自然選択説」であり、
過酷な弱肉強食を推奨するものではありませんでした。
彼自身、自然界の微細な調和に驚嘆し、深い敬意をもって観察を重ねていました。
著書『種の起源』(1859年)にも、非常に慎重な姿勢が見て取れます。

にもかかわらず、ダーウィンの理論は、後の時代に大きくねじ曲げられていきます。

誰が「弱肉強食」を広めたのか

ダーウィンの理論が「競争万能主義」に変質した背景には、次のような歴史があります。

🔹 産業資本家・帝国主義者たち
19世紀のイギリスは産業革命の真っただ中。
急激な格差拡大を「自然の摂理」と正当化するため、
「強い者が生き残る」という考え方が都合よく使われました。
支配層にとって、競争を正義とする思想は、非常に好都合だったのです。

🔹 ハーバート・スペンサー(1820年~1903年)
イギリスの哲学者で、社会ダーウィニズムを唱えた人物です。
「適者生存(Survival of the fittest)」という言葉を作り、
生物進化の考え方を社会制度や人種問題にまで適用しようとしました。

🔹 帝国主義・植民地主義の正当化
欧米列強は、未開地の植民地支配を「進化の法則」に基づくものとし、
文明人が野蛮人を支配するのは当然だという論理を広めました。

つまり――
ダーウィン本人にはそんな意図はなかったにもかかわらず、
時代背景と権力者たちの思惑によって、進化論は「競争社会を正当化する道具」として利用されたのです。

自然は、奪い合わない

今回読んだ『互恵で栄える生物界』は、
そんな長い間の誤解を静かに、しかし確かに打ち破ります。

生き物たちは争うのではなく、
支え合い、つながりあい、共に生きています。

互いに光を分かちあい、
互いに養分を運びあい、
互いに命を循環させながら。

競争ではなく、共生。
奪い合いではなく、与えあい。

自然界が教えてくれるのは、私たちが思っているよりも、もっと優しく、もっと賢い、生きる知恵です。
そして、それこそが、私たち人間の未来にも必要な感覚なのではないでしょうか。

100本目のブログは、そんな自然への感謝と祝福を込めて。
これからも、互いに支えあい、共に栄える道を歩んでいきたいと思います。

Bona Spirit







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