外国人でも訪れる「完全な観光地」になる前のアラ・アルチャ
中央アジア、キルギス共和国の首都ビシュケクから南へおよそ25〜40キロ、天山山脈に連なるアラ・アルチャ国立公園は、ソ連時代から登山や保養、自然観察の場として人が訪れてきた場所である。現在では外国人観光客も多く訪れる国際的な観光地となり、ハイキングや日帰り観光の目的地として入口付近は賑わいを見せているが、およそ25年前に私が訪れた頃、その空気はかなり違っていた。
アルピニストの墓地という場所
公園内のAdygene谷(Адыгене)には、「アルピニストの墓地(Кладбище альпинистов)」と呼ばれる場所がある。正式にはМемориал «Северная звезда»(Northern Star Memorial Shelter)といい、1964年頃に設立された、旧ソ連圏で最初の登山家記念施設とされている。ソ連時代には登山キャンプによって管理され、現在はキルギス登山連盟が維持していると聞く。標高約2,140m前後の静かな場所にあった。
一般の墓地とは違う空気
ここは一般の墓地とは少し違ったようで、多くは写真付きの記念プレートによって、山に人生を捧げた登山家や、公園と深く関わった人々の名が残されている。その頃は、ソ連時代に有名な方だといわれていたお墓があったように思う。アルピニストたちが目指す地の一つだといわれていた。訪れた人がログブックに名を記し、お花を中心とした供物が捧げられていた記憶だ。
どう受け取るかは、人によって違う
その場所をどう受け取るかは人によって違うだろう。偉業を成した人々への敬意を感じる人もいれば、山とともに生き、山に人生を預けた人々の痕跡が、そのまま置かれている場所だと感じる人もいる。私自身は、そのどちらかに言い切ることはできなかった。ただ、評価や言葉を越えて、確かに生きた人たちの時間が、山の中に静かに残されている場所だと感じた。
写真に残っていたもの
私はそこで写真を撮った覚えはあるのだが、帰国後数年経った後ににそれを見返したとき、強い違和感を覚えた。説明のつかないものが、現像した写真にはっきりと写っていたからだ。撮影したときには気づかなかった。けれど、現物としてそこにあった。それを見た瞬間、この場所が「記念」や「観光」だけで語れる場所ではないことを、身体で理解した気がした。
冬の天山山脈での経験
キルギスの冬は厳しい。雪山を馬で、現地の人に案内してもらいながら入ったことがある。大変過酷な状況だったことを今でも覚えている。寒さと疲労のなかで、「もう置いていってほしい」と思った瞬間があった。天山山脈の冬は、人の事情を考慮しない。美しさと引き換えに、判断と覚悟を突きつけてくる場所だ。
次回予告|富士山の救助という現実へ
この天山山脈での体験を思い返すとき、いま日本で語られている富士山の救助の話が、決して遠い出来事には思えなくなる。次回は、富士山で実際に起きている救助件数や事例を整理しながら、山に向かう側の感覚がどのように変わってきたのかを考えてみたい。


