1.はじめに
このシリーズ【東と西の叡智から】では、
東洋と西洋、異なる文化圏に流れる智慧をたずねながら、
今を生きる私たちに静かな光を届けることを目指しています。
第4回のテーマは、「生と死」。
生と死──
それは人間にとって、避けることのできない問いです。
しかし、その意味をどう受けとめるかは、文化によって大きく異なります。
今回は、イスラム教と神道、二つの道から、
生命の循環に寄り添う視点を探ります。
2.西洋の叡智──イスラム教にみる「定められた帰還」
クルアーン(コーラン)には、こう記されています。
「我々はあなたたちを創り、あなたたちに死をもたらし、そして我々のもとへ帰らせる。」
(クルアーン32章11節)
ここで語られているのは、
生も死もすべて神の定めであり、死は終わりではなく、神への帰還であるという思想です。
死は断絶ではなく、
もといた源へと還る旅の一部。
そこには恐れよりも、
静かな受容と希望がにじんでいます。
▶ 背景
この教えは、7世紀のアラビア半島において、
部族抗争と不安定な生死の現実を生きていた人々に向けて語られました。
生も死も偶然ではなく、神の意志とつながっているという思想は、
過酷な日常の中に静かな秩序と希望をもたらすものでした。
3.東洋の叡智──神道にみる「常若(とこわか)の命」
神道には、次のような考え方があります。
「常若(とこわか)」──命は絶えず生まれ変わり、常に若々しく更新されていく。
死は終わりではない。
古びたものが滅び、新しい命が生まれる。
自然界の営みそのものに、
人の生死もまた溶け込んでいる。
生と死は一続きの循環であり、
どちらも否定されるべきものではないという感覚が、
神道の根底に流れています。
▶ 背景
神道の「常若」の思想は、
伊勢神宮の20年ごとの式年遷宮(しきねんせんぐう)に象徴されます。
社殿をすべて新たに作り替えるこの伝統は、
建物の物理的な寿命ではなく、
命が絶えず新しく蘇るという感覚を形にしたものです。
生と死の境界を超えた「永遠の更新」が、ここに表現されています。
4.生と死は断絶ではない
イスラム教も神道も、
生と死を単なる対立や断絶とは捉えていません。
生は祝福であり、
死もまた、帰還であり、更新です。
恐れ、悲しみ、執着を超えて、
生きることと死ぬことの間に流れる大きなリズムを、
静かに受けとめること。
それが、
生命というものの、
本当のあり方なのかもしれません。
