カルマってなに?
カルマとは、古代インドの思想に基づいていて因果応報の法則とも呼ばれるもの。過去世からの行いから現世での行いが積み重なって蓄積された宿命でもあるようです。良い行為にせよ悪い行為にせよ、いずれ必ず自分の身に返ってくるシステムです。行ったっきりじゃなくて自分のもとに返ってくるので、ブーメランに例えられることもあります。
私達の日常に潜むカルマになる種
日常生活のなかで、カルマになってしまうのかもしれない!と思うような場面に遭遇することがあります。神仏様の「お試し」のひとつでしょうか。
やばい、まずかったかな・・・と、自他ともにはっきりとわかる行動してしまったときには、後味が悪く、後ろめたいような気持ちになります。自分の射程範囲内に落ちているゴミを、急いでいるからといって拾わないで通り過ぎていったときなんかがそうです。また、自分しかわからないような心のなかの葛藤なんかのこともあります。知っているのに偉そうに思われるのが嫌であえてだまっているようなときです。
こうやって少しだけ振り返ってみただけでも、生きているだけで本当に多くカルマをつくっているんだなあと実感します。毎日なにかしらのカルマの種まきをしちゃっているのではないかと思えるほどです。
「それ、カルマになるよ。」
自分の振る舞いに対して「それ、カルマになるよ。」なんて人様から指摘されたらどうでしょうか。実はこれ、私が今、もっとも恐れている言葉ですから、心中穏やかではいられません。
これは、いずれあなたがそうされるよ、だからよく考えなよ、間違っているよという意味の言葉ですね。裏にはたくさんの意味合いがあると思いますが、霊性修行をされている方のご指摘ともなれば聞かないわけにはいきません。そうですかね、とまずは受け止めます。やっぱりそうなのか・・・と、内心穏やかではいられませんが、とても気にします。
ここで、嫌な気持ちから一刻も早く抜け出したい、なかったことにしたいと考える人もいるでしょうし、ごめんなさい、すみませんと素直に大いなる神や仏様に謝ってしまうっていうのもありますね。否また、私はこう思ったんだから仕方ないかなとかあれこれ考えたり(ここは、インナーチャイルド癒やしにはいっていくところです。別のブログでご紹介します)、我が身を振り返ったりして反省したりもします。修行の段階によって受け取り方は違うのだと私は今のところ解釈しています。
この世は修行の場である。ホメオパシーを学んでわかった事実とは?
この世で生を受けるということは修行の場を与えられているということです。生きている私も当然、修行の身です。毎日なんだかよくわからないことも多く、イライラもするし、くよくよと悩んむこともあります。過去には私自身、知らぬ間に、いろんな恨みを買ったこともあり、かなり辛い人生でカルマを祓ってきたんだなと思っています。
ここまで書いてきて、あれ、あんた、仏教指導者だったけ?神道?新興宗教?・・・なんなんだ、偉そうだと思われた方もいるかもしれませんが、どうかお許しください。私は仏僧や神主でもありません。じゃあ、読むのやーめたなんて言わないでください🙏。
私はホメオパシーに出会い、学び、わずかですが数年は経ちます。そこからホメオパスになって、眼の前に起こることは必然で、嫌がらず受け取っていくものだと納得できるようになりました。
この世は修行の場だよ、なんていうと今の日本では煙たがられると思いますが、私が学んだ統合医療の専門学校CHhomでは、心、体、魂を統合的にみられるホメオパスを育成するプロフェッショナルコースがあり、そこでカルマや霊性ということについてよくよく考えるようになりました。もちろんそこでホメオパシーの技術を身につけるため、何時間もかけて、膨大な量の知識を覚えたり、理論を解釈したりできなければならない学びもあるのですが、一番大きい学びは、なんといっても多くのクライアント様の症例を数多く拝見させていただくことだったと思います。これはクライアント様のご厚意で成り立っているものなのですが、由井先生の生のケーステイクを間近でまたは配信で見せていただける大変貴重な機会となります。おかげで4年間で学びを深めていくうちに、何を治さないと本来の治癒に結びつかないかが、若輩者ながらも偉大な師匠のおかげで手探りでもわかってきたように思います。
最後の方でようやく、特に人間の病については、そのほとんどがその人の過去生から続く生き方考え方によって起こるのだと合点がいきました。疑い深い私。他の分野の学問をしてきた自負もあり、結構しつこく納得できるまでうるさい私は、単純に教えられたからといって鵜呑みにはしませんでしたので、時間がかかったのかもしれません。
しかし、そんな私でもわかったのです。病を持っていらっしゃる方ご自身が生活習慣を改めたり、考え方の癖をなおしたり、病気は神様からのお知らせであるということに気づいて頂き、真摯に取り組まないことには治癒から遠ざかり、ミラクルは起きにくいという法則がそこにあるとわかったのです。
私自身が学生時代からみさせていただいている症例や今のクライアント様の症例を考察させて頂いてみても、やっぱり体の病、心の病というものの根本はその魂に関連しているのだと強く思わざるを得ません。とても不思議なことなのですが、これは事実です。
日常、心がけること。それは「凡事徹底」
過ぎていく時間、刻々と時間は誰もに平等に流れていきます。
では、どうすれば、カルマを祓ったり、魂までもクリーンにできるのか?というと、私もまだよくわかっていませんが、自分の環境、置かれた立場でできることはあると思います。私は先生たちや修験僧のように峰入りなどは今の状況ではできず、その環境もありませんので、最低限できることとして、日常心がけていることを少しご紹介します。
私の場合、ホメオパスという人様の相談を聞かせていただいている性質上、技術的にも人間的にも魂的にも少しでも向上するように努力をするようにしています。もちろんサボるときもあるのですが最大限のパフォーマンスができるようにしたいと思っています。もちろん知識欲や名誉欲、優秀インチャからの勉強ではなく、それが世の中のためになるともあれば、やはり怠れません。ねばならない傾向が強い私ですが、何をするにしても、一足飛びでとか華やかなことは求めず、地味に「凡事徹底」を心がけるようにしています。この心がけは、大体どの人にも当てはめることができるかと思います。
祝詞や般若心経をあげる、毎日の掃除を淡々とする、仏壇の花をかえる等々、物事にできるかぎり丁寧に向き合い、心穏やかに過ごすといったようなことに気をつけるのがいいのではないかと考えています。「凡事徹底」は霊性をあげるコツなのだと教えて頂いてからは、自分なりに毎日実行しています。
また、これをやれば霊性があがるだろう、カルマは祓えるだろうとなどと思わないことは難しいですが、「利益を求めないこと」も大事なポイントです。神社仏閣でも〇〇になりますように!〇〇をください!チャリーんと小銭を入れ、これでお願いします、パンパンと柏手を叩いてご利益信仰をしてしまうのは本来のありようではないということです。幼児性をむき出しに、ご褒美をもらえるからする、あれをくれる約束があるならするのではなく、見返りを求めないことが肝要です。
霊性チェック!あなたはどの段階か?公共トイレ掃除をしなければならない場面でのあなた、どうする?
では、見返りを求めないってなに?行動できるだけでもいいじゃないの??そうです。行動できるだけでも十分すばらしいと思います。
ここでは、トイレ掃除するという行為について、あなた自身に置き換えてもう少しだけ深堀りしてみましょう。
今、あなたはどこのステージにいるのでしょうか?
想像してみてください。やっと到着した駅のトイレ。順番を待ってようやく入った自分の個室。あ、便座が汚れている!尿もれしそうだし、引き返せません。今そのトイレで用を足さなければいけない、という状況。そこで、あなたは掃除をします。どんな気持ち、どんなふうにしますか?
梅コース・・・自分も使うし汚れるからやむを得ず、汚いなあと思いながらもきれいにする。
竹コース・・・掃除は自分と次の人のためにやる。自分のせいにされたくない気持ちもある。
松コース・・・わくわくしながら楽しんで喜んでやる。自然に当たり前に動ける。
汚いなんて思わない。掃除した後は清々しい。
最後に
いかがでしたか。
あなたは何コースにいましたか。私は、・・・・・梅か竹ですね。松には届いていません。素手で掃除ができる方がいらっしゃいますが、完全に松の方ですね。とても霊性が高い方と思います。私は??全然修行が足りていません。修行は続くよいつまでもという感じですか。限りある命ですから、日々精進していきましょう。 合掌。
日本ホメオパシーセンター東京飯田橋
センター長 ホメオパス 横山みのり